バストリップを終えたAFS留学生たちは、帰国便に乗るためにワシントンDCに集結した。ここで各国ごとにひとつのバスに乗り込み、帰りのフライトに合わせて飛行場へと旅立つ。

全米に散らばっていた各国の留学生が集い、方々で再会を喜び合っている。まるでロックコンサートでも開かれるかのような賑わいだった。

気の合った者同士があちこちで輪になり、John Denver の Leaving On A Jet Plane の大合唱をしている。僕も仲間たちと一緒に歌いながら、緊張と驚きと感動の連続だった1年間の様々な出来事に思いをはせた。海外旅行がまだ珍しかった当時、僕はもう二度とアメリカの地を踏む機会はないだろうと思っていた。親しくなった友人たちと談笑できるのも今日が最後、秋からは日本の高校に戻り、灰色の受験勉強が待っている。

僕はオーストラリアのエイドリアンと長いお別れのキスを交わした。文通の約束をしバスに乗り込むと、涙が頬を伝って流れ落ちた。

日本の留学生とは、バスの中で一年ぶりに再会した。男性に比較して、女の子の豹変ぶりが際立っていた。派手な化粧と日に焼けた肌、ネイティブと何ら変わらぬ流暢なアクセント・・・ 理由は簡単で、高校で持てはやされるケースが多いのと、よくおしゃべりをするからに違いない。

バスが空港に着くと、僕たちは搭乗手続きを済ませ、帰国便に乗り込んだ。

羽田へ向けて飛び立った機内は100名余りの日本人留学生で占められており、僕達のまわりはチャーター便と変わらないような状況だった。窮屈な日本の高校を離れて自由奔放でワイルドなアメリカの高校に1年も通うと、誰もが雄弁になる。アメリカナイズされたことを自慢するような風潮も感じられ、ちょっとイヤミな雰囲気だった。

別れたばかりのオーストラリアの彼女のことが頭を離れず、僕は終始無言だった。