このスキーのレッスンにおいて特長的だったのは、短いスキーから始めて段階的に長くするという独自のアイデアに加え、「細かいことは言わないから、とにかくやってみろ」というアメリカ独特のポリシーだった。

スキーだけでなくゴルフでも何でもそうだが、アメリカではまず、やってみる・より良い結果を出す、ということを最優先する。気持ちよく滑れればいい、ボールがまっすぐに遠くまで飛べばいい、などと結果重視で、細かい「型」にはこだわらない。

やれ親指の付け根に重心を置け、膝がどうのこうの、グリップはこうだなどと、細部から入る日本の方式とは対極をなす。 日本のゴルフ雑誌などを読んでいると、信じられない程の様々な細かいテクニックが満載されているのに驚く。しかも各自が編み出した独自の感触や手法を、さも普遍的な宇宙的法則かのように得意げに押しつける割には、だれひとり、本質を語っていないのだ。

日本ではSAJ(全日本スキー連盟)という官公庁のような財団が、インストラクターなどの各種資格やバッジテストなどの合否条件を細かく決め、滑り方の「型」にまで 口を出し、ルールを決めるようだ。日本のスキー場で、コブコブ急斜面をしばらく眺めていると、上級者は皆、ロボットのように全く同じ滑りをするのに気づくはずだ。画一化された「正しい滑り方」に洗脳された結果だが、それはそれで美しい。

気になるのは、世の中の流行が変わると急に方針転換し、今度は全く異なった滑りを奨励するようになることだ。

大回転競技でも、昔はエッジを極端に立て、「斜面を切る」ような滑りが理想とされた。それがいつの間にか様変わりし、今では「エッジはなるべく立てず、スキーをフラットに保って滑らせろ」などと、正反対のことを言うようになった。その昔、もしエッジを立てない滑りができる逸材がいたとしたら、だからお前は駄目なんだと教師から猛特訓を食らって矯正させられていたことだろう。若い才能はこうして潰されていく・・・

「これがあなたの目標です。最高の結果を出しなさい。そのためにはあなたの持つあらゆる能力を総動員しなさい。ここがあなたの優れたところです。こんなことも トライしてみたらどうでしょう」がアメリカ方式ならば、「これこれこうしないと最高の結果は出ない、お前はまだ修行が足りない。俺にはお前の悪い点が見える。ここを直せ」というのが日本方式だ。

こんな連中が取り仕切っている限り、いつまでたっても日本からスーパースターが生まれることはないだろう。

最近は、世界の舞台で活躍する日本の選手も増えてきたが、その多くは海外でトレーニングを積んでいる。もちろん日本にいても、先進的な考えのコーチに恵まれれば才能を伸ばすことは可能だが、昔からの慣習を根性論で押し通す風潮が、まだまだ根強く残っているのが現状ではないだろうか。