グレイハウンド・バスによる移動は、むしろヒッチハイクよりも危険かも知れない。バスに乗っているときはいいのだが、都会のバスターミナルに到着して次のバスを待つ間が、一番緊張する。

小さな都市の場合はまだましだが、ロサンゼルスのような大都会になると、スラム街に隣接したダウンタウンのど真ん中にバスターミナルがあったりする。そんなところで一夜を過ごすなど、まっぴらご免だ。

幸い、グランドキャニオンからサンフランシスコまでは8時間ぐらいの道のりなので、帰路は特に問題はなかった。夕方近くにサンフランシスコに着いた僕は、まず宿を探した。ホテルに泊まるお金などないので、学生向けの共同宿泊施設のようなものが理想だ。

ユニオン・スクエアの北側に、海外旅行者向けの安宿が見つかった。1週間で35ドル。宿泊客もバックパックを背負ったヨーロッパの若者が多く、安全な雰囲気で、シャワーやキッチンは共同で利用する。

これで帰国までの生活費は何とかなる。食費を差し引いても、少しの出費ならカバーできそうだ。多少気が大きくなった僕は、サンフランシスコをいやと言うほど歩き回った。

交通機関が充実している都会では、車が無い方が楽しめる。フィッシャマンズ・ウォーフなどは数時間で飽きたが、有名なポークストリートを歩き回ったり、ウィンドウ・ショッピングをしたり、チャイナタウンの活気を味わったり……

ユニオン・スクエアから、チャイナタウンの入口にあるドラゴンズ・ゲートを目指し、サンフランシスコのランドマーク、トランスアメリカ・ピラミッドを見上げながらチャイナタウンの脇を通ってその向こうまで歩いて行く。

ブロードウェイまで行くと怪しげな歓楽街となるが、そのさらに向こうのグリーン・ストリート付近に、ファッショナブルなナイトクラブを見つけた。

僕はその流行の先端を行くライティングとサウンドの世界に魅せられ、毎晩そこに通っては、都会に住むトレンディーな若者たちの奇抜なファッションや言動を楽しんだ。オープンは夜の10時で、朝の4時まで大いに盛り上がる。夜明け間近となって空が白むまえに、宿まで歩いて帰るのが僕の日課だった。

そんな生活を一週間過ごし都会の孤独に疲れた僕は、日本に向けた明日のフライトが無性に待ち遠しくなった。

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大学時代の遊学記はこれでおしまい

これで僕の大学時代の「亜米利加遊学記【大学編】」は終わりだ。まだまだ記したいことは山ほどあるが、先を急ごう。

この数年後、僕は勤務先の自己啓発制度のひとつである大学院留学プログラムに応募し、運良くパスした。

学費や渡航費は全額補助、さらに給料も全額支給され、好きな分野の勉強を2年間やってきていいという、素晴らしいチャンスを手に入れたのだ。

さて、舞台はマサチューセッツ州、ボストンに飛ぶ。