バイオレンスの国アメリカでヒッチハイクをするとは、なんとも無謀な話だが、それしか選択肢はなかった。
かつてのアメリカではヒッピー文化の影響もあり、ヒッチハイクで気軽に旅行する人はかなり多かった。ところがヒッチハイクに起因した多くの事件が報告されてから、誰もが警戒心を抱くようになり、停まってくれる車は激減してしまった。
ドライバー側からすると、信頼できる相手かどうかを一瞬で判断する必要があるので、服装、身だしなみ、持ち物、表情、雰囲気、人柄など、第一印象を左右する要素が非常に大切だ。
身だしなみはドライバーを選ぶ効果もある。お金を持っています~という雰囲気があると、それを目当てに停車するドライバーもあり得るし、女性の場合なら、挑発的な服装はたとえその意図がなくとも勘違いを誘発する。お金はないが聡明で穏和な学生といった印象が無難だ。
そして目的を明確に示すこと。行き先(次の目的地)を大きな紙に書いて掲げ、そこまででいいから乗せてくれないか・・・といった意思表示を全身で表現する。つまり最終目的地ではなく、そこに至るまでのルートを段階的に達成していく。
僕の場合は、都市から都市へと移動するのが目的だったので、たとえ街中で運良く乗せてくれたとしても他の都市へ乗せていってもらえる確率は低い。そこで、フリーウェイの入口まで歩いて行って、そこでヒッチハイクすることにした。
停まってくれさえすれば、次の出口までは乗せてもらえるはずだ。そうやって出口から出口へと乗り継いでいけばいい。
こんな時代でも、3時間ほど待てば誰かが停まってくれたのは、アメリカの国旗をあしらったアルミ製のバックパックが僕の愛国精神を表現していたからかも知れない。もうひとつの要因は、とても拳銃を隠しているようには見えない痩せ型で温和な僕の風貌だったと思う。
逆に、一見親切そうなドライバーから身包み剥がれる恐れもあったが、僕は何一つ金目のものを持ち合わせているようには見えなかったし、事実そうだった。ジャケットを着てめがねをかけ、カメラをぶら下げていれば格好のターゲットとなるが、僕の風貌は全くその対極にあったからだ。
乗車の際には全身の感覚を総動員し、悪質なドライバーでないかどうかを判断した。高校時代にも1年間アメリカで過ごした僕は、このあたりの鼻がきいた。
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