フットボール選手と肩を並べるほど人気者だったのが、マークという男子学生だった。長身+ブロンド+ブルーの目という、アメリカ人の古典的理想を具現化したような彼は、演劇部のヒーローだった。優越感に凝り固まったような彼の言動は非常にクサかったが、クサいなどという微妙な感覚は、見た目を最優先する高校生にとってはどうでも良かった。

学園祭が近づくと、演劇部主催のオーディションが開催される。脇役の演技者を、生徒の中から一般公募するのだ。オーディションに応募することを try out と言い、Why don’t you try out? (チャレンジしてみたら?)という感じで使う。 憧れのマークと共演できるという期待もあってか、オーディション開催がアナウンスされると、あちこちでこの言葉が聞かれるようになる。

役柄としては男女共にたくさん募集しているようで、演劇部の先生は「東洋人役」の try out を僕に勧めた。僕のためにわざわざ作ってくれたような役柄だが、学校中の注目の的になっているオーディションに出ること自体、非常に誉れ高い。僕は全く自信がなかったが、とにかくやってみることにした。

教室いっぱいの生徒が見守る中、僕はステージに立って決められた台詞を読んだ。緊張のあまり声が通らず、口も思うように動かないため発音も下手で、涙が出てきた。ところがそれを見ていた生徒や先生は、僕の演技(?)を高く評価した。「あれは実に名演技だった。どうやって涙まで出してしまうのか?」最初はからかっていると思っていたのだが、複数の人間から同じコメントをもらい、どうも本心らしい。アメリカ人の単純さに気がついたのは、この時が最初だった。

できるだけ多くの生徒を参加させるという趣旨で企画されたこの演劇は、他界した村の住人がひとりひとり順番にステージに出て、生きていた頃のショート・ストーリーを思い出し語るという、ゾンビ好きなアメリカ人がいかにも好みそうな(退屈な ww)脚本だった。

僕はゆかたを着て、速攻で覚えた黒田節の杯のシーンがごとく、ステージの上を行ったり来たりしながら台詞をよんだ。 十分に声が出ず満場の父兄には何のことかさっぱり分からなかったろうが、なんせ東洋人の役だ。言っていることが解らなくても全然平気という、まさに留学生にうってつけの役柄だった。