シングル・ルームに移ったおかげで勉強に集中でき、成績もAが多くなってきた。日本の大学に戻ってから、留年を避けるために Transfer credit(単位の移転)する必要があるが、この成績なら問題はなさそうだ。

生活に余裕が出てきた僕は、アルバイトに精を出した。前述の物理の Tutor がいちばん楽でペイも良かったが、カフェテリアの料理人、給仕、掃除係りなど、何でもやった。そんなある日、友人のデニスが僕に、「耳寄りな情報」を持ってきた。

デニス: Hey Suchan!  You know what?  I have a great car for you…

僕: A car for me?  I don’t have that kind of money.

デニス: My Dad is a great mechanic and wants to sell a car for $150.  You wanna take a look this weekend?

なんでも、デトロイトの実家にいる彼のお父さんが車を入手し(実際はジャンクを拾ってきた)完璧に修理したので、それを 150 ドルという破格の値段で売りたいということだった。 150 ドルで車が買えるなんて夢みたいだと思った僕は、さっそくその週末に彼の実家へと同行した。

僕たちを出迎えたお父さんは、庭先に鎮座する相当古い年式の錆だらけの白い車を指差して、「俺が直したんだ」とさも得意げの様子だった。

アメリカン・モーターズ社(American Motors Corporation: AMC)の Rambler で、1969年式の最終モデルだ。7年落ちの中古車なのでそれほど年月は経っていないのだが、ミシガン州では路面凍結を防ぐために道路に塩をまく。そのため庭先の道路に放置するような状態で保管すると、どんどん腐食が進み、ボディは錆のために穴だらけとなる。このクルマも文字どおりボロボロの状態だった。もともと Rambler は安いので、日常の足として酷使した後に捨てられたのだろう。

ただ、メカには大きな欠陥はなさそうで、エンジンも低い音を立てながら軽快に回った。アメリカでは珍しいマニュアル・トランスミッションのその車を少し運転してみて、僕は購入を決めた。帰り道、反対側の車線を無意識に運転している僕に気づき、デニスと一緒に来たディーラーのスティーブは悲鳴を上げ続けていた。それでも何とか大学に帰り着き、キャンパスの空いた場所に駐車した。

翌朝、タウンまで買い物に行こうと車のエンジンをかけようとした時、僕は異常に気がついた。セルモーターが回らない。バッテリーが完全に駄目になっていたのだ。

デニスに文句を言うと、いや、そんなことはない、オヤジは完璧に直したし、実家ではそんなことは一度もなかった。きっと昨夜の寒さで駄目になったのだろう、などとうそぶく。やむを得ず近くのオートショップに行き、僕は泣く泣く40ドル支払い、バッテリーを交換した。バッテリーが車の値段の4分の1もするなんて聞いたこともない!

もうひとつの難関は、保険料だった。

保険会社と条件によって、大きく異なるが、いずれも200ドル以上で、僕の想像を遥かに超えた価格帯だった。車の値段よりも高くなってしまうのはあまりに馬鹿げている・・・と、十数社の保険会社をあたり、ついに100ドルちょっとで契約できる会社を見つけた。

こうして一緒に苦労すると、ボロボロの車でも愛着は湧くものだ。友人と一緒にダウンタウンに買い物に行ったり、普段なら歩いて行く近場のショップにもクルマで乗りつけたりと、様々な機会に乗り回した。驚くことに、このアメリカでも「留学生が車を持つとは何事だ」などと非難する連中もいたが、僕はお構いなしに得意顔でデートや友人の送り迎えなどに使った。