僕が受験した当時は三次試験まであったが、それ以前に、自分が通う高校の英語の先生が最初の難関だ。

受験勉強の真っ只中に1年もアメリカで遊びほうけるなどもってのほかと、意図的に生徒にチャンスを与えない(留学制度自体の存在を教えない)先生が多い中で、姉と僕は実にラッキーだった。姉の英語の先生は、AFS留学制度を生徒に積極的にアピールし、引っ込み思案で尻込みしていた姉を後押し、気後れしていた両親の説得までしてくれた。

もともとモダンな感覚を持っていた母は、女学生の頃は洋画に夢中でマッカーサーのような白人男性に憧れていたこともあり、すぐその気になった。憧れの先進国アメリカに公費で留学できるチャンスなど滅多にない、そんな感覚だった。

当然、そんな前例を聞いていた僕の英語の先生も乗り気だった。僕が合格すれば、同じ高校から姉弟がふたりとも留学するなどという前代未聞の記録も達成できる。恒例の英単語テストを始める前に留学制度の紹介をし、応募希望者がいるならば全面的にバックアップすると楽しげに話してくれた。

留学試験の一次試験は県の選考となる。簡単な英会話テストも含まれるが、中学でまじめに英語を習っていれば、だいたいパスできる内容だ。二次試験は、全国をいくつかの地区に分けた中で選考が行われる。なかなか手ごわい内容で、僕は高校1年で受験した時にはここで落ちた。留年しないで大学進学を狙うならば高校1年の時に合格する必要があるため、もっともっと中学時代から英語に親しんでおけば良かったのに・・・ と、少し反省した。

翌年の再チャレンジで、僕は二次試験に合格した。あとは運次第。東京で行われた三次試験では半数ぐらいが落ちたが、英語力のテストではなく、協調性やリーダーシップが評価されたようだ。グループ・ディスカッションなどという名目で数人がひとつの部屋に入れられ、意見を出し合ったり議論を闘わせるといううさんくさい方法がとられた。

ひとりで喋りまくれば協調性がないと思われるだろうし、黙っていれば無能の証拠、アメリカではやっていけないと判断される。素顔の自分をさらけ出して自然に振舞 うのがベストのようだ。

晴れて合格し留学先とホストファミリーが決定すると、出発の数ヶ月前に日本でオリエンテーション合宿がある。全国から自分は優秀だと思い込んでいる高校生たちが集まってくるわけだから、それはそれは高慢ちきでイヤミな雰囲気が蔓延した数日間に耐えることとなった。