アメリカの教育思想は、具体的な例と図と練習問題がびっしりと詰まった分厚い教科書に端的に表れている。高校留学の時にその分厚さ(5センチはある)に驚嘆した僕は、大学でも同じ方針が貫かれているのに感動した。

専門書ではなく、教えるために書かれた教科書なのだ。日本の大学のように、難解な抽象論を綴った薄っぺらな割に高価な本を、教授が学生に買わせるなどということは決してなかった。知識やスキルを伝授するという明確な目標を持って作られているアメリカのテキストは、驚くほど実践的で、面白いように理解できた。

確かに大学1年生の時は、日本の学生の学力はアメリカの学生を上回るだろう。ところが、4年間のあいだにアメリカ学生の学力はあっという間に日本人を追い越し、3年生・4年生ぐらいになると各自が生まれ持った天性のオリジナリティを発揮し始めるようになる。

個性こそが革新の芽であり、日本人が画一化された受験勉強によっていかに大量の知識を詰め込んだとしても、それらを自分の感性で活用できない限りゴミと同じなのだ。

優秀な若者達に高い目標と無尽蔵のリソースを与えると、驚くべき革新が起きる。GUI とイーサーネットとオブジェクト指向プログラミングを生み出した Palo AlsoResearch Center (PARC)は、まさにそんな環境だった。PARC を訪れたスティーブン・ジョブスが、アップル社の株と引き換えに、GUI を Macintosh に、そしてオブジェクト指向を NeXT Computer に応用したのは有名な話だ。Next で開発された革新的な OS は、その後 Mac OS X に引き継がれた。

残念ながら、オウム真理教ではこれが悪の道に利用された。日本企業に就職してもろくな仕事が待っていないことを感づいていた大学院の優秀な学生たちは、資金を湯水のように与えてくれる教団に惹かれ、信じ、研究に没頭したのだろう。