地元の進学校に戻った僕は、カルチャーギャップに苦しんだ。1年前にアメリカでカルチャーギャップに苦しみ、再びここでまた苦しむとは、我ながらなんと波乱万丈な人生だと苦笑した。

僕の不幸は、高校3年のクラスの担任が、生活指導の先生だったことだ。

行きつけの床屋で1ミリ単位できれいに刈り上げられた髪のトップは7・3に分け、父がつけていたポマードの匂いをプンプンさせながら彼は言った:

「物事には節度がある」

僕には全く理解できない翻訳不可能な言葉だった。辞書には moderation、sobriety、sophrosyne、temperance などがあるが、少なくともアメリカに1年間いた間、こんな単語は一度も耳にしなかった。

節度・・・ 僕はなにかとんでもないことをしでかしているのだろうか・・・???

英語のテストは毎回満点だし、物理も平均90点ぐらいはマークしている。国語の時間は眠っているが、別に人に迷惑をかけているわけではないと思っている。友だちを殴ったりもしないし、女の子を騙したりもしていない。

こんな品行方正な生徒をつかまえて、「節度がない」というのはどういうことか?

やがてそれが、僕の髪型に対してのコメントだったことをようやく理解した。この進学校の目的は、できるだけ多くの生徒を東大に入れることだろう。ならば、どうして髪型のようなプライベートな領域まで、他人である先生が踏み込んでくるのかがよく分からなかった。

確かに僕にも非はある。化学は毎回30点ぐらいだ。1年後輩にあたるクラスメートともあまり仲は良くないかもしれない。ただしそれは自分の選択であって、たまたまその時期に「こんなガキどもと付き合っても得るものは何も無い」と思っていだだけにすぎない。

大学入試を心配してくれているのだったら、もう少し別のアドバイスがあるだろう。

「キミは理工系大学を受験するよね。物理だけでは不十分だ。化学の成績が悪いのが致命傷だから、いい参考書をあげるよ」とか、「彼女をアメリカに置いてきたんだろうね、その気持ちはよくわかる。でも大学に行けば超カッコイイイ女の子なんて山ほどいるから、今こそを勉強する時だ」とか・・・

彼は国語の先生で、僕の国語の成績が限りなく悪かったのが諸悪の根源だったのかもしれない。(ちなみにその先生は、クラスの生徒全員に、卒業のお祝いとして自筆の写経をプレゼントした。)