学費は親から借り、就職後に少しずつ返済するという学生は多い。全寮制の大学なので、生活費は学費と一緒に全額前払いする。ただし、本や文具品、交際費などは自分で何とかしないといけないので、キャンパスにはアルバイトの機会が溢れている。決して待遇は良くないが、勉強と両立できるのが魅力だ。従って学生はよく勉強し、無駄なことには一切お金を使わない。悪く言えば貧乏で ケチ、よく言えば金銭感覚が成熟している。

美人は少ないものの、男女比はほぼ半々で、キャンパスのあちこちで映画やコンサートなどが開かれる。モンテカルロ・ナイトと呼ばれるカジノ大会や、ハロウィーン・パーティーなど、2ヶ月に一度は教授陣も巻き込んだ大学全体のお祭り騒ぎがある。小さな大学ならではの、家族的サービスだ。

学生数 vs 教師数は12対1で、これはかなりいい数字と言える。キャンパス内の規律も厳しく箱庭のような環境なので、ひねくれた学生はおらず、皆前向きで、お行儀がいい。日本での、悪臭を放つオタク達がうようよしていた退屈なキャンパスと比較すると、ここはまさに天国だった。当然、僕も勉強に身が入った。面積分、ベクトル解析、電磁気学など、日本ではちんぷんかんぷんだった概念が驚くほど簡単に理解でき、面白かった。それには多分に、アメリカの教育法が関与している。

オープンでコミュニケーションを大切にするアメリカでは、標準化、体系化、マニュアル化、ドキュメンテーション、プレゼンテーションなど、意思疎通を効率良く行うトレーニングを幼い頃から積んでいる。「人に解らせる」「人を説得する」というのは大切な能力なのだ。

これは以心伝心を暗黙の了解として美化してしまう日本文化と大きく異なる。日本の「もの言えば唇寒し」は、アメリカでは「黙っているのは無能の証拠」と、対極である。アメリカがコンピュータの分野で常に世界をリードし続けるのも、ここに理由がある。

極論すれば、アメリカは能力を引き出す教育であり、日本は個性を叩き潰す教育だ。

年功序列の文化が根強く残っている日本では、例えば伝統的な職人芸でも、弟子たちは師匠のヒミツを「盗む」しかなかった。先輩たちは、無意識下であろうが、自分に追いつき追い越す危険性のある後輩たちの学習効率をわざと下げることによって彼らの才能の芽をつみ、苦労して築き上げた自らの地位を保証しようとする。自分のやり方しか認めず、それを覆す新しいテクノロジーや発想は悪であると思い込んでいるのだ。実はそこにこそ革新が潜んでいることに気がつかない。

かつて料理の分野で、「レシピ」というブレークスルーが起こった。昔の日本料理はどこにも作り方が記載されておらず、親から教わるか、料理人のワザを盗むしかなかった。海外では当たり前だったレシピが日本料理にも導入され、味付けやコツが整理・公開されると、料理界の職人たちからは非難ごうごうだったと聞いたことがある。

今、我々はレシピのおかげで初めての料理でもそこそこ美味しく作ることができ、何度も作るうちにコツを会得できる。もちろん、本当のプロになるには五感をフル動員した感性の勝負となるが、その一歩手前のレベルに達するまでの学習効率を最大に上げるのが本来の教育法であるべきだ。そこに至るまでの過程で、若者たちの考え方を画一化し感性をつぶしていては、何の進歩もない。

頭の固い年配者は、新しい世代の革命が自分達の地位を脅かすのを恐れ、往々にして変な理屈をつけて否定的なコメントをする。ひと昔前、こんなコメントがまかり通ったことを覚えている方々も多いだろう。CDはアナログ・レコードにはかなわないとか、パソコンなんて所詮おもちゃだとか、原稿用紙でなければいい文章は書けないとか、ネットにはクズ情報しかないとか・・・

年配者に限ったことではない、二つ折りのケータイが一世を風靡していた頃、ドメドメ文化しか知らない自称IT通の若者たちは、「iPhoneのタッチパネルなんてガラケーのポチポチに勝るはずはない」などと豪語していた・・・

そんなものはレトロ趣味以外何物でもなかったことは、歴史が証明してくれた。自分が適応できない・使えないが故に、新しい技術や道具を否定する・・・ 老若男女、そんな者は淘汰されていくだけだろう。適応こそが進化の根源なのだから。

新技術が出始めた頃は確かに問題も多かろうが、形勢はいつの間にか逆転する。自己防衛本能からか、うんちくを並べ未来の可能性を叩き潰している年配者や、小さな日本に籠もったまま知ったかぶりをする若者が多いのは、実に嘆かわしい。とりわけこの傾向は日本に強いので、皆さん、何を言われてもめげずに、自分の感性を頼りにしながら信じる道を突っ走ろう!