高校生を対象とした留学制度には、大きく分けて2つの流れがあった。AFS留学とロータリークラブだ。

前者は留学先のコミュニティ募金で成り立っている仕組みなので留学生の負担はゼロ、後者は学費・生活費・小遣いをロータリークラブが負担してくれるものの、渡航費は自己負担となる。海外旅行がまだ珍しかった当時は渡航費もバカにならず、ロータリークラブは比較的裕福な家庭向けの制度というイメージがあった。

当然の成り行きでAFS留学にしか興味を持たなかった僕は、2度目のチャレンジの末に運良くパスし、高校3年の夏から1年間、米国オハイオ州の裕福な家庭にホームステイしながら現地の高校に通うことになる。

僕がAFS留学に挑戦する気になったのは、姉が同じ制度で留学し帰国したばかりだったからだ。

比較的地味で引っ込み思案だった姉は、バージニア州で過ごした1年で豹変した。空港に迎えに行った父母と僕は、小麦色に日焼けし派手な化粧とへそ出しルックで、ダンス・ビートにのって税関から出てきた姉の姿に驚嘆した。

姉の口からは、ネイティブと全く変わらないアメリカン・アクセントの英語が飛び出し、ホテルに着いてもじっとせずに僕たちをプールへと連れ出し、ホスト・マザーに叩き込まれたという華麗なクロールを披露した。

日焼けした姉の顔には、薄いブルーのマスカラと赤い口紅が妙に似合い、どこまでもアメリカンな雰囲気を漂わせていた。人生が変わる・・・ 直感的にそう感じた僕は、その年の秋の留学試験に迷わず応募した。1年前に姉を送り出して要領が分かっている両親も、全面的に賛成してくれた。高校1年の時だった。

もちろん日本の高校は1年留年するわけだが、アメリカ留学と受験勉強を両立させ、留年を回避した猛者もいた。

高校1年の時に受験し、2年の夏から渡米する。1年後に帰国した時には同級生は皆3年生、本人は当然2年の夏から継続する必要があるわけだが、高校に戻らず、そのまま自宅で半年間受験勉強をし、東大に現役で合格するという離れワザだ。留学制度の特典としてアメリカの高校の卒業証書がもらえるため、それを使って日本の大学受験ができるからだ。

僕は1年の時に受験したが2次試験で落とされ、翌年の2度目の挑戦で、団体行動もテストされる最終試験に合格した。従って高校3年の夏に渡米することになった。留年はやむを得ないにしても、皆が受験勉強に必死になり始める3年の夏に渡米できることには、ある種の爽快感があった。