それからは慌しい毎日だったが、アパートを引き払い、大量の荷物を船便で送り、なんとか準備も整った。

当時、ウィンドサーフィンに夢中になっていた僕は、渡航前日の6月29日の土曜日、湘南の材木座にいた。日本ともしばらくお別れだ。2台のボードを引き取ってくれる友人を艇庫のご夫婦に紹介し、僕は材木座を名残惜しむように海に出た。

材木座の潮の香りは、忙しい日々で疲れきった僕の心身を癒してくれた。

思えば10ヶ月前に社内試験にパスしたのはまだほんの始まりで、その後は常に時間に追われながら、大学調査、TOEFL受験、願書取り寄せ、推薦状の手配、出願手続きなどを行き当たりばったりでこなしてきた。決して効率の良い準備作業ではなかったが、それでも自力で何とか、世界最高学府からの入学許可を手にしたという、何ともいえない充足感があった。

残念ながら強風には恵まれなかったが、時折吹く突風で、何とかプレーニング(ボードと水面の間に泡の層ができて高速に滑走できる状態)を楽しむことができた。まだウォータースタートもジャイブもマスターしていなかったが、僕は岸近くの浅瀬で行ったり来たりしながら、初心者グループのすぐ横を高速で滑りぬけ、フィンが海底に引っ掛かりそうな波打ち際までボードを走らせ、ショートボードを乗りこなしているかのように自分をギャラリーにアピールした。

その時、ビーチの波打ち際で、自分に向けてシャッターが切られる音がした。

なんだ、あいつは? 不審に思いながらセーリングを続けていると、確かにその黒っぽい服を着た男は、僕が波打ち際すれすれまでセールに体重をかけてプレーニングすると、いつもパチリとやる。

ヤバい、ゲイちゃんはお断りだ、とも思ったが、どうもそうではない気がした。そうか、僕のショートボードが珍しいんだ。無理もない、材木座であまり風が吹かないときは、初心者のロングボードしかお目にかからないからな、こんな短いボードが世の中に存在することすら彼にとっては驚きなんだろう・・・ ここはひとつ、本物のファンボード・パフォーマンスを見せてやろう!

調子に乗った僕は、これ見よがしに、腰までの深さの沖合いと波打ち際との行ったり来たりを繰り返した。ウォータースタートができない僕は、足が届かない沖合いまで出ることはできないわけだ。ビーチ際まで来ると僕は極端にセールを後ろに倒してボードを加速し、派手に水しぶきを上げた。案の定、彼の「パチリ」の回数は多くなっていった。

日が傾いて、僕の日本での最後の土曜日は終った。これから都会のクラブに繰り出す奴らが羨ましいが、僕にはひとつの山を越えたような安堵感があった。

明日からは米国だ。最初の5週間はスタンフォード大学でのサマースクール。カリフォルニアの太陽が待っているとは言え、ウィンドサフィンはしばらくできない。リグを片付け、艇庫のご夫婦にしばしの別れを告げ、帰りの電車の中で僕は死んだように眠った。