空港の外に出た僕は、マリオット・ホテルからの送迎バスを待った。フライトの疲れを癒すため、スタンフォード大学に向かう前にホテルのプールで泳ぎ、そのまま一泊する予定にしていた。
市内観光の時間もたっぷりあったが、サンフランシスコには興味が無かった。見たいものはもう何もない。学生時代にアメリカで1年を過ごした後の夏休みを利用して、さんざん見て回ったからだ。
翌朝、僕はスタンフォード大学に向かった。企業派遣なので交通費は会社に請求できる。だったらタクシーで行こう・・・
お金がなくてヒッチハイクに頼らざるを得なかった学生時代が懐かしく思い出されたが、度重なる贅沢な会社出張に慣れ切った僕の感覚は、いつの間にか肥満体となっていた。フライトはいつもビジネスクラスで、レンタカーはハーツと決まっていたからだ。
スタンフォードのキャンパスは広大だ。タクシーで Admission Office 近辺まで乗りつけた僕は、大きなスーツケースを引き摺りながら右往左往し、やっと、満面の笑みを浮かべた事務員風のお姉さんがいるオフィスまでたどり着いた。そこでコースのスケジュールを確認してアパートの契約を済ませた僕は、また大きなスーツケースを引き摺りながらキャンパスの反対側に位置するアパートまで歩いていった。
それだけで優に1時間はかかった。こんな通学を毎日続けたのではたまらないと思った僕は、アパートに荷物を放り込み、その足で近くのショップに行き、自転車を買った。
これは最高の買い物だった。おかげで広大なキャンパスを縦横無尽に移動できたし、絶好の気晴らしにもなった。毎夜、広大なキャンパスをサイクリングしながら、僕はそよ風に漂う木の香りを胸いっぱい吸い込み、西海岸の恵まれた自然を満喫した。
スタンフォード大学には EFL(English as a Foreign Language)と称する学科のようなものがあり、秋からの留学を控える大学院生や学部生を対象に、5週間の語学サマースクールを用意している。留学生でなくとも、英語習得のみを目的とした外国人にも開放されており、レベルに応じていくつかにクラス分けされている。
いわゆる「語学留学」で、スタンフォードに留学したと言えば聞こえがいいので特に日本人には好評だ。日本人ばかりとつるんでいて何が語学留学だ!と言いたくなるが、スタンフォードにとっては格好の収入源だ。そのため、ここは幼稚園か?と勘違いするような、学生をちやほやした甘い授業が特徴だ。
僕のクラスは、企業派遣で秋から大学院に留学する予定の「むさ苦しい男」ばかりだった。昔、先輩が僕の顔をじっと見詰めて「お前には女難の相がある」と言ったことがあったが、僕の行く先々であまり出会いのチャンスがないのは、多分神が僕を女難から遠ざけてくれているのだろうと、プラス思考で解釈することにしている。
学部生のクラスには、各国から集まった女の子たちが大量にいた。裕福な家庭の日本人女性が特に多く、男ばかりの大学院準備クラスにいた僕にとっては、対岸の花だった。勉強といっても遊びのようなものだから、海外旅行感覚の彼女たちは日本人同士でつるみながら、毎晩、遊びまくった。せっかくの留学も台無しだが、そんなことはお構いなし、レンタカーを借りてショッピングモールを総なめし、週末には日本人グループで遠出した。
これでは海外団体旅行と何も変わらない。僕は「語学留学」の虚しさに呆れた。せっかくの異国の地・異国の文化に馴染むことを全くせず、90%は日本語を話し、日本語で考え、日本人の視点で異文化を批評しては嘲笑する。そんな環境に身を置く限り、アメリカに何ヶ月滞在したって、英語は微塵も上達しないだろう。
そんなある日、アパートをシェアしている日本人留学生が、僕をそのグループに誘ってくれた。水産省からの派遣でむっつりスケベの彼は、こういう集まりに鼻が利いた。僕の場合は英語習得が目的ではなかったので、遊びと割り切って、これらの集まりに積極的に参加した。以来、カフェでもショップでもプールでもイベントでも、知り合いの日本人に出会うたびに延々と日本語で会話する羽目となった。
僕のアパートにはあとひとり、米国人の大学院生がいた。交際中の彼女と静かな時間を過ごしたがっていた彼は、我々日本人ふたりが連日連夜リビングルームで開催する日本人パーティーにブチ切れして、ある晩、大喧嘩したこともある。
5週間のサマースクールが終わると、僕はハワイのマウイ島に発った。そこは知る人ぞ知るウィンドサーフィン天国だ。夏の間は連日、15メートルを超す強風が吹き荒れる。上級者への登竜門であるウォータースタートとジャイブをマスターするには、絶好のコンディションだった。
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