この時期のスタンフォード大学は、ドル箱の日本人向け英語サマースクールも終わり、 キャンパスは比較的空いている。広大な敷地に初めてのアメリカということもあり、 ひどく殺風景な印象を受けた。

言葉も不自由な異国の生活習慣に馴染めるのか、急に不安になった。

水道の蛇口 をひねると白い水が出てきてびっくりしたが、しばらくすると澄んで透明になって くる・・・
日本の田舎高校ではいつも水道の水を飲んでいた僕にとって、ミネラル ウォーターのペットボトルを携行することも奇異に映った。(今の日本では、ごく当たり前の光景だが (;^_^A)

決定打はトイレの構造。

アメリカでは犯織を未然に防ぐ意図もあるのだろうか、トイ レのドアの下は大きく開いている。便器に座った自分の両足は外から丸見えだ。

ドアの造りも簡単で、1枚板を蝶番で固定しただけ、柱との間にできた透き間から容 易に中を覗くこともできる。

その落ち着かなさといったら、たまったものではない。

プライバシーを尊重するアメリカにあって、逆にトイレは「個室」ではないんだ、とい うことを痛感した。

水洗トイレの水を流すことを「Flush the toilet.」と表現するが(発音に注意、「u」は 「暗く」発音しないと Flash と思われてしまう)、この水の勢いのだらしなさは、全米 どこでも共通する。

下手をするとペーパーも詰まって流れていかないことになる ので要注意だ。
日本のウォッシュレットの便利さを全く理解できないのと同じで、この程度の水勢で 良しとしてしまうのは感覚の違いかも知れない。

このあたりのカルチャーギャップ は根が深いようだ。

(※ カルチャーギャップについては、この後、何度も悩み苦しんだ。自分ではどうにもできない絶対的な社会的・文化的な違い。でも「違うこと」の面白さが理解できると、楽しみながら克服できるようになる。)