翌日は、近くのカントリークラブで盛大な感謝祭パーティーが開かれた。
ご両親はもとより、一番上のお姉さん夫婦、お兄さんとそのフィアンセ、弟さんと彼女、そして一番下の妹さんとボーイフレンドが、蝶ネクタイやタキシード、華麗なドレスなどに身を包み、銀の食器とキャンドルが整然と並んだ長いテーブルを挟んで座っている。
デーブの妹さんはまだ14歳で、笑うと歯の矯正金具が顔を出し、170センチぐらいの背 丈と非常にアンバランスな感じだった。彼女が連れてきたボーイフレンドは彼女よりも背が低く、まるでお姉さんが弟を引き連れているような感じで 可笑しかった。彼らはこうしてカップルで参加することにより、大人の社交礼儀を学び、雰囲気に慣れていく。
アメリカでは基本的にカップルが行動の単位であり、子供も小さい頃から大人と同格に扱われ、しっかりとした考え方とマナーを身につけていく。
驚いたことに、デーブは僕にもガールフレンドをアレンジしておいてくれたことだ。以前から時々口をきいたことのあるブロンドの巻き毛の女の子で、僕たちがお互いに好感を持ち合っていたことを彼は見抜いていたようだった。事前にそんなことを聞かされていなかった僕は、当然ひとりで参加するものと腹をくくっていたが、パーティーの数時間前にイブニング・ドレス姿で僕の前に現れたデビーに驚嘆し、デーブの心憎いほどの気遣いに感動した。大人の社交舞台は、ひとりで参加などあり得ない。デビーと一緒のおかげで、僕は豪華な感謝祭パーティーを心ゆくまで楽しむことができた。
この頃から僕には、女性にはドアを開けてあげる、レストランでは軽く背中を押して席までエスコートしてあげる、女性が席を立った時や招待者が着席する時には自分も立ち上がる、などの動作が自然に身についた。いわゆるレディーファーストだ。
西洋文化では、か弱い女性を守る、という単純な理念から生まれたこのようなマナーが社会的作法として普段から徹底されているからこそ、いざという時に女性を 決死の覚悟で守ることができる。フィギュアスケートのアイスダンスなどを見ていると、女性パートナーをリードし支えながら、美しさを引き立てるように滑るヨーロッパ陣営の男性の表現力が素晴らしい。
日本では、偉そうに風を切りながら女性の先を歩いたり、同僚と飲んだくれた挙げ句にホームで「○○ちゃん」などと大声で呼び合ったりするオジサン連中の何と多いことか! こうした大人たちを街中で見かけるたび、子供に戻ってしまっているんだなあと、悲しくなってしまう。未だに昔の男尊女卑の頃の甘えとだらしなさを引きずっていたのでは、軽蔑されて当たり前だ。力のない者ほど、虚栄を張って偉ぶってみたり、陰で人の悪口や不平を言うものだ。弱者を守るために、すべての苦難を抱え込んでその重みに耐え抜いてこそ、真の強さがにじみ出てくるのだと思う。
このパーティーの15年後、企業留学でハーバード大学に留学した僕は、夏休みを利用して大学時代にお世話になった教授や友人たちを訪ねた。デーブの自宅に遊びに行った僕は、広い敷地の豪邸に愛妻と子供3人の平和な家庭を築き上げていた彼の豹変ぶりに驚嘆した。いや、変わったのは彼自身ではなく彼の境遇で、昔ながらの彼の人間的魅力と精神力が今の地位を築き上げたのは明らかだった。
彼の話によれば、大学を卒業してからはディーラーをきっぱりとやめ、大手の銀行に就職したそうだ。仕事をしながら夜間学校に通って MBA を取得し、窓口を訪れたことがきっかけで知り合った女性と結婚した。彼は、ミシガンの大手銀行のバイス・プレジデントにまで上り詰めていた。
デーブは昔ながらの口調で、僕を諭すようにこう言った:
See, I told you, Suchan! I knew you’d be still single.(スーちゃん、言ったろ! 多分まだ独身だろうと思っていたよ。)
彼の豪邸に泊めてもらいながら、35歳にもなってまだ独身で、家庭はおろか愛する妻もまだ見つけられないでいる自分を恥じた。
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